「キャクストンの問題」

毎日更新の難しさ

独学で歴史家になる方法

独学で歴史家になる方法

  • 作者:礫川 全次
  • 発売日: 2018/11/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
読んだ。歴史家になるつもりはないが、大学の専攻と違う分野で研究を始めたい身として、“定年前後からでも、働きながらでも、夢がかなう「知の発信者」になるための成功ノウハウ”という帯に惹かれた。著者が研究機関に属さない在野歴史家であるところも説得力を感じた。

曰く、ブログを研究日誌として開設し、毎日記事を書くことが文章力の向上につながるとのことである。それはもっともだが、毎日書くことなど見つからない。実際、この記事も前回から一ヶ月以上経過してやっと書いている。毎日となると単なる日記帳になってしまわないか。それがいいのだろうか。読んだ本の感想でもいいとのことだから、試行錯誤しながらでも書いていくことにしようか。なにか得られるものがあるはず。

『言語論のランドマーク―ソクラテスからソシュールまで』

10日ほど前から読んでいる。言語学史を学ぶために読み始めた本はこれで2冊目である(1冊目は風間喜代三言語学の誕生―比較言語学小史 (1978年) (岩波新書)』)。これまで読んだ初学者向けの言語学書よりずっと難しく、一歩進むごとに立ち止まっては振り返りを繰り返している。かといって理解できないこともないので、わからないながらも読むことが大事なのだと読み進めている。

「キャクストンの問題」

今日は「キャクストンの問題」を興味深く読んだ。時代の要請が言語の変化に大きく関わるのである。

新技術というものは社会についての基本的な考え方の見直しを迫るものである。その典型的な例である印刷術は、社会の言語構成について考え直すことを促した。歴史的に見た場合、英国初の印刷者としてキャクストンが抱えていた問題は、印刷術が、文献を一つ一つ忍耐強く手で写していた時とは異なり、個々に個別の変更を施すことを許さない技術であるという事実に起因していた。印刷とは大量複写、しかも(手で写す速度と比較すると)高速の複写である。この二つの要因―機械で正確に複写できることと生産速度が速いこと―が相俟って、書物という製品の販売の可能性がそれまでに例のないほどに生み出され、同時に、潜在的読者層も前例を見ないほどの広がりを見せた。しかし、こういったことは、言語をめぐる社会状況が統一よりも分裂を良しとする場合にはうまく実現しない。ルネサンス期における一つの逆説は、印刷術が仮に200年早く発明されていたなら「キャクストンの問題」は生じなかっただろうということである。その頃にはまだラテン語が他に並ぶもののない公式の言語としてヨーロッパを支配していたからである。

こんな風に毎日書いていけたらいいが、どうなるやら。